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写真の物理学 ⑯ 収差の物理学

📐写真の物理学シリーズ ⑯ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 薄肉レンズの結像公式は、光線が光軸に対して小さな角度で入射するという「近軸近似」の上に成り立っている。現実のレンズでは光軸から離れた光線がこの近似を破り、さらにガラスの分散によって波長ごとに焦点位置がずれるため、像は理想的な一点に集まらなくなる。本記事では、このずれを総称する「収差」を、スネルの法則の非線形性と分散の両面から体系的に整理し、非球面レンズによる補正戦略と収差がボケの質に与える影響までを論じる。 スネルの法則の非線形性と近軸近似の限界 光と物質の相互作用で導いたスネルの法則は $n_1 \sin\theta_1 = n_2 \sin\theta_2$ である。薄肉レンズの結像公式を導出するとき、私たちは $\sin\theta \approx \theta$ という近似を使った。これが近軸近似であり、光軸に近い、角度の小さな光線だけを扱う限りにおいて成立する。 しかし $\sin\theta$ をテイラ

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写真の物理学 ㉓ 色温度と黒体放射

📐写真の物理学シリーズ ㉓ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 「色温度」はカメラの設定画面で日常的に目にする数値だが、その単位がケルビン(K)であることに違和感を覚えた人は少なくないだろう。温度で色を表すとはどういうことか。この問いに答えるには、19世紀末から20世紀初頭にかけて確立された黒体放射の物理学まで遡る必要がある。本稿では、プランクの法則を出発点に色温度の物理的意味を厳密に導出し、相関色温度、ミレッド、そしてホワイトバランスの原理へと接続する。 黒体放射とプランクの法則 黒体(black body)とは、入射するすべての電磁波を吸収し、反射も透過もしない理想的な物体である。黒体は熱平衡状態において、温度のみによって決まる連続スペクトルの電磁波を放射する。この放射を黒体放射(black-body radiation)と呼ぶ。 1900年、マックス・プランクはエネルギーの量子化という仮説を導入し、黒体放射のスペクトル分布を完全に記述する式を導いた。プランクの放射法則は次

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写真の物理学 ㉞ RAW現像の信号処理

📐写真の物理学シリーズ ㉞ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 デジタルカメラのシャッターを切った瞬間にセンサーが捉えるのは、色も階調もコントラストもないリニアな整数値の二次元配列にすぎない。この配列が「写真」になるまでには、ブラックレベル補正からデモザイキング、カラーマトリクス変換、トーンカーブ適用、JPEG圧縮に至る十を超える信号処理工程が介在する。本稿ではRAW現像パイプラインの各工程が画像のどの物理量をどう変換しているのかを数式で記述する。 RAWデータの正体:リニアな光子カウント イメージセンサーの各画素(フォトダイオード)は、露光時間中に入射した光子を電荷に変換し、その電荷量をアナログ-デジタル変換器(ADC)で整数値に量子化する。この整数値を ADU(Analog-to-Digital Unit)と呼ぶ。RAWファイルに記録されているのは、このADU値の二次元配列である。 画素 $(i, j)$ におけるADU値 $S_{i,j}$ は、入射光子数 $N_{i,j

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写真の物理学 ⑲ 逆二乗則とガイドナンバーの物理学

📐写真の物理学シリーズ ⑲ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 ストロボの光はどこまで届くのか。この問いに定量的に答えるのが逆二乗則であり、その法則を撮影現場で即座に使える形に圧縮した指標がガイドナンバーである。本稿では逆二乗則の幾何学的導出から出発し、ガイドナンバーの数学的構造、ISO感度との関係、そして配光制御や複数灯合成まで、ストロボ撮影の背後にある物理を一貫して導出する。 逆二乗則の幾何学的導出 点光源から放射される光の全光束を $\Phi$ とする。この光は真空中では等方的に広がり、距離 $d$ の位置では半径 $d$ の球面上に一様に分布する。球の表面積は $4\pi d^2$ であるから、単位面積あたりの照度 $E$ は $$ E = \frac{\Phi}{4\pi d^2} $$ となる。ここから直ちに $E \propto 1/d^2$ が導かれる。これが逆二乗則である。

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写真の物理学 ㉚ 銀塩写真の化学

📐写真の物理学シリーズ ㉚ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 デジタルセンサーが光電効果という量子力学的に確実な変換に依拠するのに対し、フィルム写真はハロゲン化銀の結晶上で起こる確率的な化学変化に賭けている。光が作る目に見えない潜像を、現像という別の化学反応で増幅して初めて像が現れる。本稿ではこの全過程を、バンドギャップから潜像形成のガーニー=モット機構、カラーフィルムの三層構造と経年劣化まで物理化学の言葉で記述する。 ハロゲン化銀の結晶構造と光感受性の起源 写真フィルムの感光材料は、ハロゲン化銀(silver halide)の微結晶である。実用上重要なのは臭化銀(AgBr)、塩化銀(AgCl)、ヨウ化銀(AgI)の三種であり、多くの写真フィルムではAgBrを主体として少量のAgIを固溶させた混晶が用いられる。 AgBrとAgClは岩塩型(NaCl型)の面心立方格子をとる。大きなハロゲン化物イオン(Br⁻やCl⁻)が立方最密充填を形成し、その八面体空隙を小さな銀イオン(Ag⁺

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写真の物理学 ② 電磁波としての光

📐写真の物理学シリーズ ② このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 前回は光が「どう進むか」を記述した。本稿では一歩引いて、光とは「何か」を問う。答えはマクスウェル方程式が予言する電磁波であり、同時にプランクの関係式が記述する光子でもある。この二面性が、写真のあらゆる局面に顔を出す。 マクスウェル方程式と光速 19世紀半ば、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは電場と磁場の振る舞いを記述する四つの方程式を統合した。その帰結として、電場と磁場が互いを生み出しながら空間を伝播する波、すなわち電磁波の存在が予言された。 マクスウェル方程式から導かれる電磁波の伝播速度は $$ c = \frac{1}{\sqrt{\varepsilon_0 \mu_0}} $$ で与えられる。ここで $\varepsilon_0$ は真空の誘電率( $\approx 8.854 \times 10^{-12}$ F/m)、 $\mu_0$

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写真の物理学 ④ 焦点距離と画角を幾何学で導く

📐写真の物理学シリーズ ④ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 薄肉レンズの結像から光と物質の相互作用まで、レンズが像を結ぶ仕組みは前三回で揃った。次の問いは「どこまで写るか」だ。本稿では焦点距離とセンサーサイズから画角がどう決まるかを三角関数で厳密に導出し、「広角」「望遠」という分類が物理的にどこまで意味を持つかを検討する。 画角の幾何学的導出 カメラのセンサーは有限の大きさを持つ。レンズの後方焦点面に置かれたセンサーが「切り取る」光の範囲を角度で表したものが画角(angle of view, field of view)だ。 無限遠に合焦した状態を考える。このとき像はレンズの後方焦点面に結ばれ、センサーはこの焦点面に一致する。センサーの一辺の長さを $h$ とすると、センサーの端に届く光線は光軸に対して角度 $\theta$ をなす。ここで $$ \tan\theta = \frac{h/2}{f} $$ が成り立つ。 $f$ は焦点距離、 $h/2$ はセンサー中心か

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写真の物理学 ㊱ フレームレートと運動知覚

📐写真の物理学シリーズ ㊱ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 なぜ24 fpsの映画が滑らかに見え、60 fpsのゲームがさらに滑らかに見えるのか。この問いに答えるには、光の物理学だけでなく、人間の視覚系が時間的な変化をどう処理するかという心理物理学の知見が必要になる。本記事では、フレームレートと運動知覚の関係を物理学と心理物理学の両面から記述する。 仮現運動:静止画が動いて見える条件 映画もテレビもモニターも、表示しているのは静止画の連続だ。しかし私たちはそこに「運動」を知覚する。この現象は仮現運動(apparent motion)と呼ばれ、1912年にマックス・ヴェルトハイマーがゲシュタルト心理学の文脈で体系的に研究した。 仮現運動の最も基本的な形式がベータ運動(beta movement)だ。位置Aに表示された図形が消え、短い時間間隔の後に位置Bにほぼ同じ図形が表示されると、観察者は一つの図形がAからBへ移動したと知覚する。 ベータ運動が成立する条件はコルテの法則(K

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写真の物理学 ㊵ 太陽光と大気の物理学

📐写真の物理学シリーズ ㊵ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 写真のもっとも基本的な光源は太陽である。その光が大気を通過する過程で何が起こるかを物理学で記述する。空が青い理由、夕焼けが赤い理由、雲が白い理由。これらはすべて、太陽光と大気中の粒子との相互作用として統一的に理解できる。 太陽のスペクトル 太陽の表面(光球)は有効温度約5778 Kの熱放射体として振る舞う。プランクの放射法則により、温度 $T$ の黒体から放射される分光放射輝度 $B(\lambda, T)$ は $$ B(\lambda, T) = \frac{2hc^2}{\lambda^5} \cdot \frac{1}{e^{hc/(\lambda k_B T)} - 1} $$ で与えられる。ここで $h$ はプランク定数、

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写真の物理学 ㊴ アナモルフィックレンズの光学

📐写真の物理学シリーズ ㊴ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 映画のスクリーンを水平に横切る光のストリーク、楕円形に滲むボケ、被写体を包み込む没入感。これらはすべて、水平と垂直で異なる屈折力を持つアナモルフィックレンズがもたらす描写だ。本稿では、シリンドリカルレンズの屈折からスクイーズ比の幾何学、楕円ボケや水平フレアの物理的起源までを順に解き明かす。 アナモルフィックレンズの歴史的背景 映画産業が直面した「画面比率」の問題 アナモルフィックレンズの起源を理解するには、まず映画フィルムの物理的制約を知る必要がある。 35mmフィルムの1コマ(フレーム)は、サウンドトラック領域とパーフォレーション(送り穴)を除くと、撮影に使える面積が限られている。標準的なアカデミー比(Academy ratio)は約1.375:1で、横にわずかに長い程度の、ほぼ正方形に近いフレームだった。 1950年代初頭、テレビの普及によって映画館の観客動員数が激減した。映画産業は、家庭のテレビでは体験

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写真の物理学 ⑪ 被写界深度の厳密な導出

📐写真の物理学シリーズ ⑪ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 絞りを開ければボケが大きくなり、絞ればパンフォーカスに近づく。焦点距離が長いほど、被写体が近いほどボケやすい。本記事では、これらの経験則を幾何光学の原理から厳密に導出し、4変数がそれぞれどの程度被写界深度に効くのかを偏微分で定量化する。 許容錯乱円(Circle of Confusion)の定義 被写界深度を定義するには、まず「ピントが合っている」とはどういう状態かを定量的に定める必要がある。 薄肉レンズの結像公式により、ある距離 $d$ にある被写体は、レンズの後方のある一点に結像する。この合焦面から前後にずれた位置にある被写体は、センサー上で点ではなく円(ボケ円)として記録される。このボケ円の直径が十分に小さければ、人間の目には「点」と区別がつかない。この「点と区別がつかない最大のボケ円の直径」を許容錯乱円(Circle of Confusion, CoC)と呼び、$c$ で表す。 被写界深度とは、ボケ円の直

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写真の物理学 ⑤ センサーサイズと換算焦点距離の正体

📐写真の物理学シリーズ ⑤ このシリーズでは、写真にまつわる現象を物理学の言葉で記述する。「なんとなくそうなる」を「なぜそうなるか」に変換することが目的である。 「35mm換算50mm」。カメラの仕様表で頻繁に目にする表記だが、この「換算」が何を保存し何を保存しないかを厳密に理解している人は少ない。本稿ではクロップファクターをセンサー対角線の幾何学から導出し、換算焦点距離と換算F値の物理的意味を明確にする。「換算焦点距離が同じなら同じ写真が撮れる」という素朴な理解が、なぜ物理的には誤りなのかを示す。 画角とセンサーの幾何学 シリーズ第1回で示したように、焦点距離 $f$ のレンズが無限遠に合焦しているとき、像はレンズの後方焦点面に結ばれる。像距離 $b = f$ であり、センサーはこの焦点面に置かれる。 このとき、センサーの寸法が画角を決定する。幅 $w$ 、高さ $h$ のセンサーの対角線長を $d_s$ とすると $$ d_s = \sqrt{w^2 + h^2} $$ 無限遠に合焦した状態での対角画角 $2\alpha$ は $$ \tan\

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